遠くに見えた月のように
目次
忘れられない夏の匂い
あの夏の日の風景は、いまだに胸の奥に残っている。
強い日差しに照らされた縁側、どこか遠くで鳴く蝉の声。
祖母が台所から持ってきた大きなスイカを、新聞紙の上にのせて、包丁でざくっと切った音。
「さあ、冷たいうちに食べなさい」
そう言って笑う祖母の声と一緒に、甘い匂いが広がった。
縁側に腰かけ、素足のままスイカを頬張る。ひんやりとした果肉の感触と、口いっぱいに広がる甘さ。
夢中で食べて、種をぷっと飛ばしては「こらっ」と笑いながら怒られた。
畳の匂い、風の抜ける音、蚊取り線香のかすかな煙。
そのすべてが、なぜか今でもはっきりと蘇る。
たぶん、あの時間は「しあわせってこういうことだ」と、身体ごと感じていたのだと思う。
何かを頑張った記憶でも、特別な出来事でもない。ただ、あの日、あの場所にいたこと。
その「安心」の手ざわりだけは、今も心の奥に確かに残っている。
静けさの中で育った決意
その日は、特別な前触れもなかった。
朝、顔を合わせなかったのはいつものことだったし、夜になっても帰ってこない日なんて、これまでにも何度かあった。
でも次の日も、さらに次の日も、父は帰ってこなかった。
母は何も言わず、ただ夕飯の支度をし、無言でテレビを消した。
家の中から音が消えていくのがわかった。弟たちは空気を読むように静かになり、自分も何かを察したまま、言葉を飲み込んでいた。
「これからは、自分がこの家を守らなきゃいけないんだろうな」
14歳の自分がそんな風に思ったのは、きっと背伸びだった。でも、あのとき確かに、心のどこかにスイッチが入った気がする。
父に対する怒りも寂しさも、口にはしなかった。
代わりに、冷蔵庫の牛乳が減っていたらメモを取り、弟の弁当を手伝った。
「子どもがやることじゃない」と言われるかもしれないけど、それがあのときの自分なりの家族を支える行為だった。
大人になった今でも、ときどき思い出す。
黙っていなくなった父の背中は、空白として自分の中に残っている。
けれど、あの空白があったから自分なりの覚悟が育ったんだと思う。
何者かになりたいという希望だけを持って
地元の高校を卒業してすぐ、私は東京行きの夜行バスに乗った。
段ボール一箱とリュックひとつだけ。アパートの鍵は、まだ封筒の中だった。
母の仕送りは受け取らなかった。
「大丈夫、なんとかやってみるよ」と強がって見せたけれど、本当は不安で仕方なかった。
けれど、あの頃は不安すらエネルギーに変えられる年齢だった気がする。
面接の前日、駅前の安いスーツ屋で初めてのスーツを買った。
裾上げを待つあいだ、鏡の前に立った自分の姿に、少しだけ誇らしさを感じていた。
ピシッとした肩のラインに、なりたい「誰か」の影を重ねていたのかもしれない。
バイト先では皿洗いをしながら、帰ったら夜学で講義を聞いた。
電車の中で寝過ごしたことも、靴底に穴が空いたこともある。
でも、「これが、自分の人生なんだ」と思うたび、不思議と嫌じゃなかった。
当時の希望は、今思えば、根拠のない思い込みばかりだった。
けれど、いつか何者かになれるかもしれないという淡い幻想だけが、
真っ暗な東京の夜を、ほんの少しだけ明るく照らしてくれていた。
歯車の中で見つけた誇り
ようやく就職が決まったとき、母が電話口で泣いた。
何も言わずに背中を押してくれた人の涙は、胸に染みた。
配属されたのは、都内の中規模なメーカー。
研修でスーツに名札をつけて、先輩の話をメモする日々。
誰が見ても「下っ端」で、頼まれるのはコピーやお茶出しばかりだった。
だけど不思議と、それが嫌じゃなかった。
はじめて組織の一員になれたことが、嬉しかったのだ。
何をしたわけじゃなくても、「今日も会社に行った」という事実が、自分を支えていた。
夜は同期と飲みに行って、酔った勢いで俺たちが日本を変えるんだなんて本気で語り合った。
あの頃の無根拠な自信と熱っぽさは、今思えばまぶしいくらいだ。
夢中で働くうちに、社会の中での自分の役割を少しずつ感じはじめていた。
仕事ってなんだろう。役に立つってどういうことなんだろう。
その問いへの答えを、まだ知らなくても探していた――あのときの私は、たしかに前を向いていた。
命の重みを知った日
深夜の病院。
陣痛に耐える妻の手を握りながら、私はただ「頑張れ」と繰り返すしかなかった。
何もできない自分がもどかしくて、情けなくて、それでも一緒にいることしかできなかった。
「おぎゃあ」――
産声が響いた瞬間、時間が止まったような気がした。
目の前の小さな命。
湿った髪、ちいさな指。まるで、奇跡みたいだった。
看護師さんに抱かれて泣く赤ん坊を見たとき、胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
これが、命の始まりなのか。
これが父親になるということなのか。
妻が疲れ果てた顔で笑ってくれたとき、心のどこかにあった何かが、音を立てて切り替わった気がした。
それまで自分の人生だったものが、確かに誰かのための人生になった。
肩にのしかかった感覚ではなく、自然とそう思えたのが不思議だった。
あの夜、初めて守るべきものができた。
それは、ただ愛おしいという気持ちと共に、私の中にしっかりと根を張っていた。
置き去りにしてきたもの
時計を見ると、もう日付が変わっていた。
スーツのまま帰宅して、静まり返った家の玄関をそっと開ける。
リビングの電気は消え、食卓の上にはラップがかけられた夕飯がひとり分だけ、黙って待っていた。
「仕方ない」――
そう言い訳することが、いつの間にか習慣になっていた。
会社では部下が増え、クライアントも増え、責任も増えていた。
数字に追われ、案件に追われ、日々が過ぎていった。
気づけば、子どもの寝顔しか見ていなかった。
運動会も参観日も「どうしても外せない打ち合わせ」で行けなかった。
妻に謝るたび「うん、いいよ」と言ってくれたその笑顔に、ほんの少しの寂しさが混じっていたことに、本当は気づいていた。
でも、自信がなかった。
どうやって家族と向き合えばいいのか、わからなかった。
だから「仕事が忙しい」という盾の後ろに隠れていた。
仕事で成果を出していれば、家族に何も言われない。
そんな風に思い込んでいた。
だけど、夜中のキッチンで冷めた味噌汁を飲みながら、ふと感じる。
私は、何を大切にしてきたんだろう。
仕事に夢中だっただけで、家族の時間を、いくつ置き去りにしてきたんだろう。
あの日、家を出て行った親父と何が違うというのだろう。
たどり着いた場所と、静かな夜
「部長昇進、おめでとうございます」
朝礼で拍手を受けながら、頭を下げた。
それは目指していた肩書きであり、長年の努力が認められた証だった。
部下も増えた。
プレイヤーではなくマネジメント。
報告書に目を通し、会議に出席し、部署全体の方向性を考える立場になった。
若い頃、上司の背中を見て「俺には無理だな」と思っていたのに、気づけば、自分がその上司になっていた。
不思議なものだとどこかで他人事のように感じながらも、「ここまで来たら勝ち組だろう」と、自分に言い聞かせていた。
でも、その日の夜、静まり返った家に帰った。
玄関の灯りは消えていて、誰も起きていなかった。
食卓には、ラップのかかった夕飯。
冷蔵庫のメモに「おめでとう」とだけ、妻の筆跡で書かれていた。
温めた味噌汁をひとりで飲みながら、ふと思った。
この戦いは、いつから一人だったんだろう。
私は、誰のために頑張ってきたんだろう。
部長という肩書きは、たしかに重かった。
でも、それ以上に、誰とも分かち合えない静けさが、ずっしりと肩に乗っていた。
背中に託すもの
成人式の朝、スーツを着た次男が、居間の鏡の前でネクタイを直していた。
不器用に結びながらも、少しずつ様になっていくその姿に、胸がじんわりと熱くなった。
「写真撮るぞ」と声をかけると「いいよ、恥ずかしいから」と笑われた。
それでも妻がカメラを持ってきて、無理やり玄関先で一枚だけ撮らせてもらった。
扉を開け、彼が一歩外に出たとき、その背中がほんの少し遠くに感じた。
「行ってくる」とだけ言って振り返った声には、思いがけず大人の響きがあった。
思い返してみれば、私はこの子に何をしてきたのだろう。
仕事にかまけて、学校行事にもろくに顔を出せなかった。
一緒に何かをした記憶が、数えるほどしかない。
なのに、あいつは何も責めず、まっすぐ育ってくれた。
誇らしさと、取り残されたような寂しさが同時に込み上げた。
あのとき、扉の向こうに歩いていく息子の背中に、私の未熟さも、願いも、ぜんぶ詰め込んだ気がする。
肩書のない自分と出会う日
最終出勤日。
デスクの引き出しをひとつずつ空にしていく作業は想像以上に時間がかかった。
パソコンの電源を落としたあと、何かを見落としている気がして、しばらく椅子に座ったまま動けなかった。
送別会では花束をもらった。
明るく笑って「お疲れさまでした」と言われるたびに、なぜか胸がざわついた。
帰り道、慣れた満員電車にそのまま揺られた。
花束を抱えながら立つ自分が、どこか場違いに見えた。
これまでなら「次の仕事」のことばかり考えていた時間帯。
でももう、誰からの電話もメールも来ない。
スケジュール帳も、まっさらだ。
家に着いて玄関の鍵を回した瞬間、「これでよかったんだ」と思った。
でも同時に「これから何をすればいいんだろう」とも思った。
肩書も、役割も、予定もない自分に、まだ身体も心も追いついていない。
定年とは、終わりじゃなくて「自分ひとりで立ち上がる」ための、静かな始まりなのかもしれない。
静かな会話
「これからは、ふたりでのんびりだな」
そう言ってみたものの、妻は笑って、すっと立ち上がり、いつものように別の部屋へと歩いていった。
その背中を見送りながら、妙に胸が詰まった。
ここまでの年月、どれだけの会話をすり抜けてきたんだろう。
仕事にかまけていた自分に、妻が何も言わなかったのは諦めだったのか、それとも信頼だったのか。
どちらにせよ、返せるものが見つからない。
同じ家にいても、空気がぎこちない。
食卓に並ぶふたつの湯呑みは、ただの形だけになっていた。
言葉にすれば壊れてしまいそうで、でも言葉にしなければ、何も始まらない。
そんなある日、夕方にふと目が覚めると、妻がお茶を淹れてくれていた。
何も言わずに置かれたその湯呑みから、湯気が、静かに立ちのぼっていた。
「ありがとう」
そう言うのに、少し時間がかかった。
でも、言えた。
今さら…かもしれない。
けれど、今だからこそ伝えられることも、あるのかもしれない。
残された時間
少し前から感じていた身体の違和感を歳のせいだろうとやり過ごしていた。
でもある日、妻に押し切られるように病院に行き、精密検査を受けた。
待合室の長椅子はやけに冷たく、壁の時計の音がやけに耳についた。
医師の口から出た言葉は、静かだった。
「完治は難しいですね」
そう告げられた瞬間、不思議なくらい頭の中がしん…と静まり返った。
取り乱すことも、泣くこともなかった。ただ、言葉がすべて遠くに感じた。
帰り道、歩き慣れた道なのに景色が違って見えた。
夕暮れの光がやけに柔らかくて、木々の影が地面に長く伸びていた。
「この世界には、こんなにも色があったのか」と思った。
まるで、生きている実感を今さら突きつけられたようだった。
家に帰ると、妻が「早かったね」とだけ言って夕飯の支度をしていた。
言うべきか、言わざるべきか、少しだけ迷った。
でも結局「まあ、なんてことなかったよ」とだけ笑ってみせた。
本当は、少しだけ怖かった。
でもその分「残された時間で何ができるんだろう」と初めて本気で、自分の人生に問いを立てた気がした。
遠くに見えた月のように
もう人生の終わりが見えてきた今、ふと昔のことを思い返してみた。
あの頃の自分は、がむしゃらだった。必死で、でもどこかで空回りしていた。
家族ともう少しちゃんと向き合えたらよかった。
もっと笑い合って、もっと話せたらよかった。
後悔は、数え出せばきりがない。
でも――
それでも、誰かを思いながら生きてきた時間があったのだとしたら、それはきっと、そんなに悪くない人生だったんじゃないかと思いたい。
自分の存在が誰かの記憶に、ふとした瞬間にでも残っていれば、それだけで救われる気がする。
夜空に浮かぶ月を見上げるたび、思う。
子どものころ、あの月はやけに遠くて、でもずっとそこにいてくれるように見えた。
手は届かないけれど、たしかにそこにあって、ぽつりと灯っていた。
自分も誰かにとって、そんな月のような存在であれたら――
それだけで、十分だ。