きみの隣で笑えるようになるまで【サンプル】
優しさが、形を持った夜
布団の中、電気が消えた部屋。目をつむっても、暗闇の輪郭が浮かんでくる。天井の隅に何かいる気がして、息を潜めるようにしていた。心臓の音がやけに大きく響いて、その音が怖くなる。
「おかあさん…」と声を出すと、すぐに足音が近づいてきた。パジャマ姿のまま、眠そうな目で私の横に座ってくれる。何も聞かずに、ただ、優しい声でこう言ってくれた。
「だいじょうぶ。ここにいるよ。」
その瞬間、さっきまでの不安が、魔法みたいに溶けていった。胸の奥の緊張がほどけて、安心でいっぱいになる。「だいじょうぶ」って、こんなに力のある言葉なんだと、幼いながらに感じた。
もしかしたら、あのときからずっと私は「言葉の力」を信じてるのかもしれない。
迷いの中にいた、やさしい声
家族で出かけたデパート。おもちゃ売り場が目に入って、ちょっとだけ…と手を離したのは、ほんの数秒だったと思う。でも、気づいたときには、周りに家族の姿はなかった。
人混みの中で立ち尽くした。目の前を通り過ぎていく大人たちの足音が、いつもより大きく響いて聞こえた。声を出そうとしても、喉がぎゅっとつまってしまって、涙だけが勝手にあふれた。
そのとき、制服を着た女性がしゃがんで、目線を合わせてくれた。
「どうしたの? お母さん、いなくなっちゃった?」
頷く私に、「大丈夫。いっしょに探そうね」と笑ってくれたその人の顔が、いまでも忘れられない。あの瞬間、「頼ってもいいんだ」って初めて思った。
頼ることって、恥ずかしいことでも、弱いことでもない。人のやさしさに触れるために、必要な一歩なんだと、小さな私はその日、覚えたんだと思う。
「わたし」ってなんだろう?
引っ越しが決まったとき、「新しい友だち、できるかな?」とわくわくする気持ちもあった。でも、実際の転校初日は、その期待なんて一瞬で吹き飛んだ。
知らない土地、知らない校舎、知らない顔ばかりの教室。担任の先生が「今日から〇〇さんが来ました」と紹介してくれたけど、教室の空気は妙に重たくて、私はただ立ち尽くしていた。
誰も隣の席に声をかけてくれない。お昼になっても「一緒に食べよう」と言ってくれる子はいなかった。お弁当を一人で食べながら、ふと思った。
「わたしって、ここにいてもいいのかな?」
その瞬間、胸の奥に穴が開いたような気がした。泣きたいのに泣けなくて、「笑ってなきゃ」と思って、無理に口角を上げていた。
でも、そんな日があったからこそ、自分で自分の居場所を作る強さを、少しずつ学んでいったのかもしれない。あの日の静かな寂しさは、私の中の「自分探し」の始まりだった。
こう振り返ってみると、なんて受動的だったんだろうと思う。
転校生だからってだけで優しくされるのはおかしいし、自分から声をかければいいじゃない。
9歳の自分にはそれがわからなかったんだと思う。
空想という名の避難場所
授業中、先生の声はどこか遠くで響いていて、頭にはほとんど入ってこなかった。黒板の文字よりも、ノートの隅に描いた空想の街の方が、ずっと鮮やかで、ずっと大切だった。
ビルが並ぶ未来都市。空を飛ぶバス。話す動物たち。ひとりぼっちでも、そこには友達がいたし、何もかも思い通りだった。誰にも咎められない、私だけの小さな世界。
現実は、ちょっとしんどかった。
空気を読みすぎて、うまく振る舞えなくて、疲れる日もあった。だからこそ、その逃げ場が必要だった。逃げてるなんて思わなかった。ただ、「ここにいたい」と素直に思えた。
大人になった今でも、あの街の景色は心のどこかに残っている。誰にも見せなかったあのスケッチは、もしかしたら、はじめての「表現」だったのかもしれない。
今の私の表現が昔の私と同じような想いを抱いている誰かの逃げ場になっていたらいいなとも思う。
信じていたから、傷ついた
そんな私にも中学に入ってからも、ずっと一緒にいてくれた子がいた。
休み時間も放課後も、自然と隣にいて、お互いのことは何でも知っている気がしていた。だからこそ、あの日の言葉は、まるで急に突き落とされたみたいだった。
「一緒にいると、ちょっと疲れるんだよね」
軽く言ったつもりだったのかもしれない。でも、私にはその一言が頭から離れなかった。「私って、重いのかな」「何か間違えたかな」そんな風に自分を責めて、帰り道、イヤホンの中の音楽だけが慰めだった。
でも、ひとりで考えているうちに、ふっと思った。いつも「嫌われたくない」って思っていたけれど、それって、相手に合わせてばかりだったんじゃないかって。
この日を境に、私は「誰かの期待通りに生きるのはやめよう」と少しずつ思うようになった。
まだまだうまくできないし、今は誰かの期待に応えるのも大事だと思っているけれど、自分を守ることを覚えた、小さな始まりだった。
自分で決めた目標に向かって
中学最後の夏、私は初めて「自分の意思」で勉強机に向かった。
志望校のパンフレットを見たとき、ここに行きたい、って思った。理由はうまく説明できないけど、「ここなら自分を変えられるかもしれない」って、なぜかそう感じた。受験って、人に言われてやるものだと思っていたけど、このときはちがった。誰に言われたわけでもなく、ただ自分の中から湧き上がってきた。
朝から夜まで、10時間以上も問題集と向き合う日々。正直、つらい日もあった。でも、わからなかった問題が解けたときの快感や、模試の結果が少しずつ上がっていくのがうれしかった。
それに、努力って目に見えるんだって知った。鉛筆の芯が短くなっていくのも、赤で埋まったノートも、全部「自分がやったこと」の証だった。
この夏、私の中で何かが変わった。誰かの期待のためじゃなく、自分が納得できるために動く。その感覚が、初めてわかった気がした。
傷ついたぶん、強くなれた日
「好きです」
その一言を伝えるために、私は何度も鏡の前で練習した。
高校2年の終わり頃。クラス替えで同じクラスになったあの人。なんとなく目が合って、話すようになって、気づいたら、心の中にその人が大きくなっていた。
でも、それまでの私は、誰かに気持ちを伝えることが怖かった。
「一緒にいると、ちょっと疲れるんだよね」
あの言葉が頭の中でリフレインする。
拒絶されたらどうしよう、嫌われたらどうしよう――そんな不安でいっぱいだった。けれど、ついに「伝えたい」が「怖い」を上回った。
告白の日。
手のひらはびっしょり汗をかいて、心臓は喉の奥で暴れていた。震える声で言った「好き」という言葉。返ってきたのは「ごめんね」のひとことだけだった。
しばらくは、目の前がぼやけるくらい泣いた。ひとりで帰る道、誰かに見られたくなくて、うつむいて歩いた。でも、不思議と後悔はしていなかった。「ちゃんと伝えられた」それだけで、どこか胸を張れる気がした。
あの人との恋は叶わなかったけれど、自分の気持ちに正直でいられた私は、ちょっとだけ好きになれた。きっとこれが、大人になるってことの一歩なんだろう。
誰もいない海で、ひとり泣いた
電車に揺られて向かったのは、学生時代に憧れていた海辺の町。
就職活動の合間、何も決まらない自分に疲れて、ふと「ひとりでどこかへ行きたい」と思った。
スマホを切って、SNSも見ない。駅前の観光案内所で地図をもらい、海までの道を歩いた。潮の匂い、風の音、空の広さ。見慣れた街の喧騒とはまるで違う景色のなかで、急に孤独が降ってきた。
「なんで私だけ、こんなに不安なんだろう」
波打ち際に座りこんで、ぽろぽろ涙が出てきた。まるで、自分の中に溜めていた言葉にならないものが、波に引き出されていくようだった。
泣いて、泣いて、少し落ち着いて、ふと空を見上げた。雲が流れていた。
「まあ、なんとかなるか」って思った。根拠なんてないけど、そう思えたのは小さな希望だった。
あのときの私は、ただ泣きたかっただけじゃない。たぶん、自分に寄り添ってほしかったんだと思う。誰かに、じゃなくて、自分自身に。
「大丈夫だよ」って。
自分の足で来て、自分で泣いて、自分で立ち上がった。そんな旅だった。
大学のときからずっと一緒だった友達が、「地元に戻ることにした」と言った。突然の話ではなかった。彼女の家族のこと、仕事のこと、いろいろあっての選択だったのはわかっていた。
でも、心のどこかで「ずっと一緒にいられる」と思い込んでいた私には、その現実が思ったより重たかった。笑顔で「応援してるよ」と言ったけれど、内心はぐちゃぐちゃだった。寂しいし、不安だし、取り残される気がして怖かった。
最後に一緒に食べたカフェのランチ。写真を撮って、お互いを褒め合って、笑った。でも電車に乗って一人になったとたん、涙があふれてきた。
「人って変わっていくんだな」
「ずっと一緒にいられるわけじゃないんだな」
当たり前のことなのに、実感したのはこのときが初めてだった。
彼女がいてくれたから、どれだけ救われてきたか。くだらないことで笑った夜も、励ましてくれた日も、全部が愛おしい思い出になった。感謝と寂しさが混ざり合って、うまく言葉にならなかった。
別れって、悲しいだけじゃない。誰かが大切だった証拠なんだと思う。
あの日の痛みは、今でも胸の奥にちゃんとある。だけど、それはあたたかい記憶とともに、私を支えてくれている。
自分にかける、やさしいひと言
ふと、鏡に映った自分の顔を見て、思った。
「よく、ここまで来たなあ」って。
仕事も、恋愛も、家族との関係も、全部が完璧だったわけじゃない。むしろ、うまくいかないことのほうが多かった気がする。
失敗して、誰かを傷つけて、逃げたくなった夜も数えきれないくらいあった。
でも、それでも生きてきた。
逃げなかった日も、泣いた夜も、どうにかこうにか乗り越えてきた。
これまでは「もっと頑張らなきゃ」「まだ足りない」って、ずっと自分に鞭を打っていた。
でも今は、ようやく違う言葉をかけられるようになった。
「ここまで頑張ってきたね」って。
あのときの自分に、今の自分がそっと手を伸ばして、「大丈夫」と言ってあげたい。
小さなわたしたちが歩いてきた道のりを、やっとまっすぐに見つめられるようになった。
完璧じゃなくていい。
うまくやれなくても、誰かに好かれなくても、自分が自分を嫌いにならないでいられたら、それでいい。
“きみの隣で笑える自分”になりたくて、ここまで歩いてきた。
その笑顔が、ほんとうに心からのものでありますように。
それが、いまの私のいちばんの願い。